嵐・櫻井翔が突如葬儀に現れ、マスコミ驚愕! ほかのジャニタレとは違った“庶民派”な一面

【たつぼーのひとこと】
どんな理由で式場に来てもいいじゃん、ほっといてやれよ笑でも、予想外の場面で好感度が上がったぽいですね笑


先月5日に亡くなった作曲家の冨田勲さん(享年84)のお別れの会が15日、東京・青山葬儀所で営まれた。そこへ突如、嵐・櫻井翔が現れ、マスコミを驚かせていたという。

「冨田さんは晩年まで活躍しましたが、1960年代から70年代に大活躍された方とあって、年齢の高めな著名人が来ると予想され、蜷川幸雄さんの葬儀のときのように報道陣が大挙するということもありませんでした。開式10分前にもなると、来場する参列者もまばらになったため、報道陣の緊張感もなくなっていました」(ワイドショー関係者)

そんな雰囲気の中に現れたのが、櫻井だったという。

「青山葬儀所は、入り口から式場まで、少し距離があるんです。有名人は、だいたい式場間近まで自動車で乗りつけ、そこから中に入っていくパターンがほとんど。そのため、それらしい車が来ると、マスコミも降車場所付近に集中して映像を押さえるのですが、櫻井は関係者と3人で、普通に入り口の方から歩いてきました。まさか、櫻井が来ると誰も思っておらず、式場に入りかける直前に、記者の間から『あれ、櫻井翔に似てない?』という声で一斉に気づくくらい、派手さのないものでした」(同)

櫻井が来てからのマスコミは、色めき立っていたというが……。

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荒木 達哉
高校在学中(18歳)の時に、地元の先輩がメルマガ運営で稼いでいることを知り「僕にもできるはず!」と思い始める。失敗と成功を繰り返しながらも事業を拡大し20歳で法人化。更に、メルマガ読者が計10万人を突破し、ほぼ労働せずに月収も200万円以上を稼ぐまでになる。

1994年(24歳)の時に信用していた人と一緒に新規事業を始めるが、その人と資金が同時に消え人間不信に。それが原因で引きこもり状態となり会社も廃業。1年後、社会復帰しサラリーマンを数年経験した結果、起業した方がトータルリスクが断然低いと感じ再び起業。

現在では、3歩先を行くビジネスデザイナーとして「自分自身で稼ぐ力をつけたいけど何をして良いのかわからない」「ビジネスに取り組んでみたけど成果が出なかった」そんな方の為のビジネススクール、オンラインサロンを運営。その他、コンサルタント・著者・コラム連載・Webラジオ・などで活動中。

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arakitatsuya

3歩先を行くビジネスデザイナー。お金の本質、稼ぎ方から物事の捉え方、考え方などをアドバイスしております。 人生を劇的に変化させる【3ステップ】 『知らなかったことを知る』『正しい考え方に変える』『そして行動に移す』たったこれだけで目の前の世界は劇的に変化していきます。 座右の銘=継続は力なり。 — 活動内容 — 【コンサルタント/著者 / コラム連載 / ラジオ /ビジネススクール/オンラインサロン】